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祈ることが多くなった

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(おしゃれ地蔵・藤沢市) 最近祈ることが多くなった。 若いころは、今から思えば傲慢だったのか、祈ることをしなかった。 最近になってようやく、祈るということは、人の力でどうすることもできなくなくなった時、人は祈るよりほかに方法がなく祈るのだと思うようになった。 昔、大阪文学学校で知り合た親しい仲間5人のうちに、俳句の上手な方がいた。 その方を師匠として、5人で句会のまねごとをして楽しんでいたところ、師匠が胃癌になられた。その方は「石切さんにお参りにいきたい」と言われた。 私は阿波出身で石切さんのことは知らなかったけれど、大阪や尼崎では「でんぼ(腫れ物)」の神様として、おできや、ニキビ、はたまた、癌を治してくれる神様として有名だった。 私たちは、師匠に代わってお札をいただきに行った。 その時見たものは熱心にお百度を踏んでいる人達の姿だった。 その頃の私はそんなことで治るのだろうかという冷めた考えだった。 だが今にして思うと、熱心にお百度を踏めば治ると信じている人が大半だろうが、そのほかに、もうてだてがなくて、ただただ祈るよりほかに仕方なくお百度を踏んでいる人もいると思うようになった。 それは、祈りだ。と思うようになった。 お友達はなくなり、石切さんに一緒に行った仲間もみな亡くなった。 私が食料品を買いに行くスーパーマーケットの道に、たまたま小さい30センチほどの地蔵がある。そんなのにも私は足を止めるようになった。 藤沢市の教育委員会によると、 「おしゃれ地蔵」というそうだ。 「女性の願いなら何でもかなえてくれる」のだって。 「満願の暁には、おしろいを塗って御礼をするから、『おしゃれ地蔵』という」そうです。 色っぽいお地蔵さんだ。 もうすぐ85歳になる私には、色っぽい女の願い事はない。 お地蔵さんを覗き込んで笑いながら写真を撮る。そして申し訳のように手を合わせて拝んでいる。 何かばらばらのことを書いてしまった。  

秘められた青春- 昭和の娘 芙蓉と葵 - (完全版)

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                                           (1)    芙蓉は庭の水仙を切って紙にくるみ、ピンクのリボンをかけて、杉野先生のマンションを訪れた。  マンションに杉野先生がいらっしゃるかどうかは、賭けのようなものだった。日曜日、先生は 時々田舎の実家のほうに帰られる。芙蓉は胸をどきどきさせながらインターホーンを押した。 「おお、紺野か」という声が聞こえて、先生はガチャっという音を立ててドアを開けた。 「おお、上がれ、上がれ」と杉野先生は芙蓉の手をつかんで、廊下に引き入れた。 先生にじかに手を触れられたのは初めてだった。突然体が熱くなるような、先生に甘えたくなるよ うな気持が予期もしないのに体の底からこみあげてきた。  芙蓉は女らしい科(しな)を作って、 「お邪魔します」と顔を赤らめながら言い、勝手知ったリビングルームのソファーに腰かけた。 「先生、今日は今井君たち、来ていないの」 「うん、今日は誰も来ないなあ。ところで、今日は葵は来なかったのかい?」 「ええ、今日は親戚の法事に出かけるらしくて、来れなかったの」 「そうか」と先生は言っていつものように紅茶を入れてくれた。 「せんせ、庭の水仙が綺麗だったので、持ってきたの。いつもの花瓶に活けていい?」 「おお、いいよ。いつもありがとう」  杉野先生は、レモンティを二つテーブルの上に置いて、芙蓉と向き合って座った。 「紺野は京都 I 短大に決めたのだね。もう心は定まったかい?」 「せんせ、私、東京の E 短大に行きたいと思うようになったのだけど、受かるかしら?」 「えっ、京都やめたの?どうして?」 「どうしてっていうわけでもないけど、東京は世界でも一番の都市だときいて、自分もそんな大都市に身を置きたくなったの」 「そりゃあ、お前の実力があれば、 E 短大なんか軽く受かるよ。でも、親は何て言っているの?」 「父は自分も東京の医科大学に行っていたので、反対はしないの。母は東京に女の子を一人でやる なんて心配だと言っているけど、卒業したらお婿さんを迎えてずっと家の病院を継いでいかなけれ ばならないから、ちょっとの間だけでも自由にさせてやりたいという気があって、強く反対できな いらしい。私も卒業したらこっちに帰って来て、花嫁修業すると約束したのよ」 「そうか、親がそう言うのだったら、学