2018年  マウイ島滞在日記 3

 二日目 (8月17日・金曜日)

 

⒑ サーフィン

 目覚めて、カーテンを開けると、リビングからすぐ目の前に海が見えた。青い空に白い雲は浮かび、ガラス戸を開けると心地よい風が通り抜けて行った。

このコンドミニアムには、天井に付いた大きい羽根の扇風機があるだけで、エアコンの設備はないと娘から聞いた時、どうやってエアコンなしに暮らせるのかと、不安に思った。今心地よい風を肌に感じながら、なるほど、なるほどと頷くのである。エアコンなんて必要ないのだと納得できた。

 昨夜は、コンドミニアムから歩いて行ける近くのお弁当屋みたいな店で、父親が三人分のお弁当を買ってきた。今朝は近くの「FARMERS」というストアで、朝ご飯を食べようということになった。

             


 私が玄関のなれない鍵を必死で掛けている間に、父親と孫は、先に行ってしまった。私が到着した時には、二人とも注文を済ませていた。遅れて行った私は、何を注文したらいいか分からない。依存心の強い私は、孫が助けてくれるものだと思ってたら、孫は知らん顔である。「何を注文したの」と聞くと「サンドウィッチ」と言うので、カウンターの中に向かって「サンドウィッチ」と言ったら、相手は、何か言葉をベラベラベラと返してきた。何をいっているのか分からなくて、困って孫の方を見ると、中身を選ぶんだと言う。

          


 なるほど、店員の後ろの黒板に、何やら一杯書かれている。私は、急に言われても英語は読めないし、何でも平気で食べられる人間だから、中身も分からず、何でも答えろと思って、メニュー「一」と言った。注文してから二人の店員が料理を作るので、しばらく待たされた。

 店は小さい。入った左側に、テーブル二つと椅子が八、九脚置かれている。壁の所にはTシャツなど、ちょっとしたお土産品が売られている。テーブルの奥はカウンターになっていて、その向こうでハンバーガーやサンドウィッチやサラダなどを調理している。そのまた奥ではオーガニックと銘打った牛乳や野菜やフルーツが売られている。店の右側には、瓶詰や缶詰やちょっとした調理道具やティッシュやトイレットペーパーなどが売られている。

 ここでは、肉や魚が一切売られていないのが、後になって、不便を感じるようになった。

 小さい店だけれど、周りに店がないので、私たちのコンドミニアム『ハレカイ』の客のみならず、周辺のコンドミニアムから人々が一杯集まって来て、賑やかである。東洋人よりもアメリカ人が多い。大陸の方から、島に泳ぎに来るみたいだ。

 出て来たサンドウィッチは、量が多くて味も大味。もたもたと食べていると、食べ終わった父親は、レンタカーを借りに行くと言って行ってしまった。孫も食べ終わってコンドミニアムに先に帰ると言って、帰って行った。私一人、もたもたと食べ続けた。

 午後からは、父子はサーフィンのツアーに行った。H...であらかじめ申し込んでいたものである。私はコンドミニアムに残って、昼寝したり、外を眺めたりしていた。

 私達のコンドミニアムの真ん前は芝生で、海に下りていく階段につながっているのだが、すぐ左の前、すなわち隣の部屋の真ん前には、二十五メーターほどのプールがある。そのプールに入るために、私たちのテラスの前を大勢の宿泊客が横切っていく。大胆な水着を着た若い女性たち。はじけそうなお尻を惜しげもなく露出している。裸同然の肢体をたくさん見ているうちに、裸が人間の本当の姿であり、一番美しいものだと思ってきたりする。

 不思議に、男性の海水パンツ姿には、あまり目が行かなくて、女性の胸やお臍や太ももなどを眺めている。どの女性もみんな美しい。さすがに年取った女性はワンピースの水着で、裾はスカートのようにひらひらしている。手や足は皺一杯だが、気が引けている様子はない。つばの広い帽子をかぶって、毎日浜への階段を下りていく老女がいた。その老女はだいぶん猫背になっている。西洋人だから脚は細く長い。体はくびれのない真四角の感じでタンクみたいだ。その姿を毎日見ているうちに、私のように皺だらけのみっともない体でも、水着を着てもいいように思い始めて来た。

 水着姿の万華鏡に空想を膨らませていたら、意外にも早く、孫たちがサーフィンから帰って来た。

 私は、「サーフィンどうだった?面白かった?」と聞いた。二人の答えは、いつもだが、はかばかしく返って来ない。

 辛うじて父親が、息子の方に目をやって、

「太郎はすごかったな。最後に立ってちょっとだけ波に乗れたものなあ」と言った。

 それで大体の様子は推察ついたので、それ以上は詮索しなかった。

 

  ⒒ 『ラハイナの街』散策

 意外にサーフィンの講習が早く終わったので、まだ五十歳の父親は余力があるらしい。ラハイナという町に行って、夕食を食べようと言った。

 孫はOKを出している。私は即座に「私も行こう」と言った。コンドミニアムに一人で残っていても、マウイに来た甲斐がない。

 私は後部座席に乗り込んだ。父と子は運転席と助手席に座った。孫はナビを見て道の案内役をしている。私は無言で座っていた。

 コンドミニアム『ハレカイ』とラハイナは割と近いので、十五分ぐらいで着いた。不慣れな異国の地で、空いた駐車場を探し、車を停めた。

 さて、車を下りて、どうやら駐車料金は前払いらしいと、他人のすることをまねて試しているが、なかなか機械がうまく反応してくれない。英語の表示を、父子で、ああでもない、こうでもないと言いながら、何とか読み解いて車を預けた。二人は「分かりにくいなあ」と言いながら、前を歩いていく。

              




 ラハイナの街は海沿いにずらりと店が並んでいる。マウイ島の西島では、一番観光客が多い所だ。私は海風に吹かれながら気持ちよく歩いた。狭い歩道一杯に外国人が歩いていて、ぶらりぶらりと商品を眺めている光景に、私は異国に来たのだなあと実感して、うきうきしてきた。

 父親は、マウイのことをよく調べて来ていた。その点私はいいかげんなので、旅行から帰った後で、しまった、あそこもここも見逃したというようになる。父親は孫に、このホテルはマウイで一番古いホテルだよ、とか、それが今もそのままホテルとして使われているのだよとか説明している。私は彼らの後ろを無言で歩きながら、聞き耳を立てて聞いていた。

 二人は、店に入って行った。私も後についた。二人は趣味が合うらしく、雑貨やTシャツを、あれこれ物色しながら、しゃべり合っている。私は、女性ものの帽子を被ってみた。出発前に、どうしても、美容院に行く時間がとれなかった。女性としてはそれが一番大切な仕事と思うけれど、美容院の嫌いな私は、後回しにしていた。ついに頭のてんこつが白髪のまま出て来た。アンビリーバボーだ。白髪隠しの帽子を新調していたのにそれも忘れて出て来た。

 ここで買うべし、と、決心してその店で帽子を被った。店員が寄って来て、かりそめに被った水色の太いリボンが結んである帽子を、よくお似合いですよと言ってくる。日本ではそんな若向きの帽子は買えないと思うが、マウイで開放的な気分になっていた私は即座に買ってしまった。値札をとってもらうと、堂々と被って、店の立ち並ぶラハイナの通りを歩いた。

 通りから海が見える。ずっと向こうの水平線まで、遮るものはない。歩道にあふれている人は外国人ばかり。私は、異国の町を歩いているという高揚感に酔いしれていた。

 私は、インスタグラムにアップする写真を撮るのが癖になっていた。ラハイナの商店の軒からぶら下がっている看板を撮ったりしているうちに、孫たちはどこかの店に入ってしまったらしい。見失ってしまった。さんざん探したが見つからないので、電話をかけてみたが繋がらない。

             


 夜の食事は「キモズ」というレストランで食べるのがいいと、父親が調べて来ていて、さっきその前を通ったとき「ここだ」と教えてくれていたので、最悪会えなければそこに行けばいいと心に決めた。すると向こうの方で孫が電話をかけながら歩いているのが目に入った。内心ほっとして、電話がかからないというと、成田空港で借りて来ていたWi-FiのスィッチをONにしていないと、持っているだけでは役に立たないのだと言った。

 年の割にはスマホなど持って進んでいますねと言われていい気になっていたが、Wi-Fiの意味が解っていなかった。無事に合流できたところで、「キモズ」というレストランに入った。

 入り口から、ちょっと奥に入って行くと、そこはもう海に突き出たような部屋だった。満席に近いような人で埋まっている。水平線まで広がる海を眺め、夕陽の光る穏やかな水面を眺め、島に来た幸せを感じている。英語のメニューは私にはわからないので、父子で料理を決めている。彼らも、少々苦手なのか、隣の人の食べているものを指して、同じものでいいと頼んでいる。特にハワイ風とは思わない、エビのフライが出て来たように思う。日本の洋食みたいな感じだった。だけど、それが口に合って美味しかった。食べ終わる頃には、日が暮れて来た。

         


 レストランを出ると、父親が、ラハイナで有名な「バニヤンツリー」を見に行こうと言った。予習不足の私は知らなかったが、ハワイで一番大きな樹だというから、ついて行った。

 もと来た商店街を逆にだいぶ歩いて、広場に着いた。周囲はもう暗くなっていて、幹とも根とも言い難い土まみれのような茶色い太いものが、鈍い電灯の光に照らされて立っている。よく見ると、土から立ち上がっている太い幹は、まっすぐに伸びているのでなく、くねっと曲がって、しばらく横向きにのび、また曲がって上に伸びている。そして幹からは土に届かない根が何本もぶら下がっている。その土まみれに見える樹は、広場の四隅に立っていて、父親の説明によると、それらの樹は地中において根でみな繋がっているのだという。

 だから、それらはみなで一本の樹だということになるらしい。だから、ハワイで一番大きな樹となるのだと思う。薄暗い電灯の光でよく見えなかったが、広場の土の色と同じような、埃っぽいが、ずっしりとした存在感のある茶色い物体を見て、何とも言葉が出なかった。

 樹は緑っぽいものだという先入観に毒されていた。

 妙に蒸し暑いような気分になった。

              



 

★三日目(8月18日・土曜日)

 

⒓ 虹

          



 朝、九時頃だった。ひょいと部屋の中から海を見ると、水平線に、大きな虹が完全な弧を描いて、かかっていた。色も紫から赤へと、内から外に向かって、はっきりと層をなしていた。紺碧の海にまたがる虹。青い空には白い雲が浮かび、その下の海に大きい虹がかかっている。

私は歓声を上げ、皆を呼んだ。父親も孫も歓声を上げている。ふと、庭の芝生に目をやると、雑用をこなすアジア系の男性が、両手を合わせて、虹に向かって祈っている。私はというと、日本では見たこともないような奇麗な虹が出てくれたのは、何かいいことがある印ではないのかと、そんなことばかりを思っている。手を合わせて祈る人のように、敬虔な気持ちにならなければいけないと反省した。

 十一時になると、孫と父親は、山の方で、土に滑り降りるツアーがあるからと出かけて行った。私には何が何だかさっぱりわからなかったが、聞いてもろくに満足な返事が返って来ないのが常なので、それ以上詮索しなかった。

 孫たちが出かけた後、私は、敷地内のコインランドリーに行って、洗濯し、乾燥機を使って洗濯物を乾かせ、あとは、リビングのソファに座って、海を眺めていた。

 白い帆掛け船が碧い碧い海を滑るように流れていく。あの船はどこへ何をしに行くのだろう、と、ぼんやり考えて眺めていると、いつの間にか時間が経っていた。

父子は、ツアーから四時ごろ帰ってくると、庭の芝生から階段を下りて、小さい砂浜を通って海に入って泳いでいる。どちらかというと、父親の方が元気で、孫を引っ張っている感がある。私は、夜も、ナイトショーのツアーを申し込んでいるから、少し休めばいいのにと内心やきもきしている。

夜見に行く「ルアウ・ショー」は、私が行きたいから誘ったものだ。二人は男だし、ショーなどはどうでもよかったのかもしれない。私は一人で行くのも自信がないし、アッシー君として便利に使おうと思ったのかもしれない。

ともかく、三人は、まだ日が落ちないうちに「ロイヤル・ラハイナ・リゾートホテル」に行った。会場は屋内と思い込んでいたのに、野外だった。会場に入れてくれるまでにかなり長い時間があって、見物客は長い列を作って待っていた。その時皮肉なことに、雨がぼつぼつ降り始めた。なんてまんが悪いのだろうと、空を見てひとりでやきもきしていると、うまい具合に雨がやんでくれた。

広場には、長机とパイプ椅子が並べられていて、ビュッフェ形式で料理をとって来て食べた。暗くなると、火のショーが始まった。月は黒い雲の影に隠れたり出たりしている。薄暗い舞台の上で、火の玉がくるくると輪を描いて走って行った。

次の出し物は、フラダンス。私は、フラダンスを踊る娘たちの痩せているのにびっくりしてしまった。脚など、棒のようだ。はつらつとした若さがない。ひょっとしたら、マウイ島にまでダイエットの波が押し寄せてきているのではないかと、半ばがっかりさせられた。

 


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