2018年 マウイ島 滞在日記 5

 ★7日目(8月22日・水曜日)

 

⒗ ハリケーン

朝5時ごろ、私のドコモの携帯がものすごい音で警報音を鳴らした。私はびっくりして飛び起きた。隣の部屋で寝ていた父親も起きて来てリビングをぶらぶら一周して、「何だろう」と私が慌てているにかかわらず、無言でまた寝室に入って寝てしまった。孫は気がつかないのか、起きてさえ来ない。

H.I.Sの事務所に携帯が故障して電話した時、大型ハリケーンが近づいているので注意してくださいと言っていたのを思い出した。

警報音にビビった私は、誰も相談する相手がないので、日本時間を確かめてから、娘がまだ起きている時間と目星をつけ、娘に電話をかけた。娘はネットで調べてくれ、やはり前代未聞の大型ハリケーンがハワイに近づいていると言った。

私はすぐ、ジャズで有名なニューオリンズの町がハリケーンで滅茶滅茶にやられ、水浸しの廃墟になってしまったテレビの映像を思い出した。「オズの魔法使い」の映画も思い出す。

今住んでいる木造二階建のコンドミニアムにハリケーンが直撃すれば、風にすくい上げられ、持ち運ばれ、投げ落とされ、家はバラバラに破壊されると思った。それに波打ち際から10メートルしか離れてなく、海面からは人間の背丈一つの高さの所にあるので、高潮に襲われたらひとたまりもないと思った。

私は、阪神大震災の時に一つの教訓を得ていた。断水が1か月近く続いて、トイレや皿洗いに困り、隣の伊丹市の公園の水を汲みに行って苦労した時、尼崎市では被害が大きかったが、淀川ひとつわたって電車で15分、大阪に行けば普通の生活ができたのである。

余震におびえ、水に苦労して八方ふさがりだとつぶやいていた時、後で考えれば、「36計逃げるに如かず」の教え通り、家族全員で大阪のホテルに泊まっていれば、万一余震で家がつぶれても命は助かったのだ。

なるべく早く逃げ出すのが最善の方策だと思った私は、今のコンドミニアムは危険と判断し、一時避難のホテルを娘にネットで探してもらったが、帯に短し、たすきに長しで、予約するところがない。そうこうするうちに、現地マウイのH.I.Sの事務所が開く時間になり、助けを求めた。

色々やり取りし、結局ラハイナの老舗ホテルにハリケーンが去るまで、5日間予約してもらった。そのホテルの名は『ラハイナ リゾート ホテル』、この間「ルアウ・ショー」を見た所である。海からはすぐの所であるが、鉄筋高層建築、丸ごとハリケーンに持って行かれることはなさそう。9階の部屋を予約できた。

さて、孫と父親は、移動に猛反対である。大げさすぎると攻撃して来る。孫などはここから絶対に動かないと反発する。それをなだめて荷物を全部トランクに詰めさせ、ふてくされているのを無視し、無理やり移動させた。孫は阪神大震災の後で生まれ、怖さを経験してない。父親は、一緒に苦労したはずだが、震災とハリケーンとが結びついていない。私の恐怖心が二人の抵抗を押し切り、ともかく移動させた。

コンドミニアムに泊っている客たちは、ハリケーンなどどこ吹く風かというように、海に入りバーベキューをし、騒いでいる。しばらく避難しますとコンドミニアムの事務所に言いに行ったときには、受付の60がらみの婦人が、ニコニコしながら「little rain little wind」と平気そうだった。

 

★8日目(8月23日・木曜日)

 

⒗ カーナパリの海岸

避難した『ラハイナ リゾート ホテル』は、ラハイナと名がついているけれども、位置としては『カーナパリ』に隣接している。『カーナパリ』はマウイの西島で一番のリゾート地であるから、もしも『カーナパリ』のホテルに逗留していれば、巡回バスもあり、買い物や食事に不自由することはなく、運転できない私でも生活できたと思う。          

避難して来てみて、『カーナパリ』が西島一のリゾート地になったのが納得できた。9階の窓から眺めると、岩ひとつないきれいな砂浜が、見渡す限り長く長く続いている。砂の色は黄みを帯びたライトな黄土色。その砂浜に、ヤシの木が等間隔に天高く伸びている。写真で見るハワイそのものだ。多分海も遠浅の海に違いない。

          



コンドミニアム『ハレカイ』の海岸は猫の額ほどの砂浜だったし、

          


その隣の公園の海は、砂浜は広いが海の中に岩があって泳ぎを邪魔している。なるほどリゾート地はなるべくしてなったのだと納得できた。

その海岸でも人はまばらである。湘南の芋漕ぎのような海水浴場から見るとこちらは天国だ。ハリケーン接近のニュースで、その日は泳ぐ人がいつもより少なかったのかもしれないが、普段の日でもゆったりとしていると思われる。

ふと見ると沖に二隻の帆船が帆を下ろして停泊していた。航海のことはよくわからないが、その二隻の帆船は、ハリケーンをやり過ごすためにそうやって停泊しているのかしらと思った。

ホテルに来てみると、何故かうきうきしてきて、急に自分も水着を買って海に入ってみようと思い出し、ホテルのショップに行って水着を買った。アメリカのサイズは分からないので、中年の男性が店番をしていて少々恥ずかしかったが、私にはどのサイズが合いますかと聞き、「L」と言ってくれたので、試着してみるとぴったりだった。私は15年ぶりぐらいに海に入った。小心者の私は太もものあたりまで浸かっただけで泳ぎもせず、すぐ上がってしまった。それでも冷たい海水が気持ちよかった。

その夜、ラハイナで大規模な山火事があったらしい。

 

★9日目 (8月24日・金曜日)

 

⒘ 父親(私の娘婿)が日本に帰る日

今日は父親が日本に帰る日だ。カフルイ空港までの時間をたっぷりとって、午前7時にホテルを出て行った。ハリケーンのため、ホノルルまでの飛行機が出ているか、またホノルルから日本までの飛行機は飛んでいるかとさんざん気をもんであっちこっちに電話をかけ、どうやら両方予定通り飛んでいると分かって、出て行った。

テレビでは一つのチャンネルが24時間ハワイのハリケーンの情報ばかりを流している。ハリケーンは大型でまともに直撃すればハワイの全島を巻き込むと言っていた。

ところがそのハリケーンはノロノロで、ずっと前から報道している割にはなかなか近づかない。しかも西にそれてハリケーンの中心は太平洋上を進行しているようだ。ともかく予定通りに帰れてよかったとほっとしていると、20分もしないうちにドアをノックする音が聞こえた。誰かと思ったら、さっき帰った父親が戻ってきている。

どうしたのかと思ったら、夜中からラハイナの山火事が続いていて、道路が封鎖されていると言う。カフルイ空港に行く道はそれ一本しかないので、どうしようもなくて帰って来たのだと言った。

9時頃、もう一度出て行ったが、まだ封鎖が解けていないと帰って来た。11時になってもう一度行ってみるというので、駐車場まで孫と二人で送って行った。

外に出てみると、きなくさい臭いが漂っていた。今度は戻ってこなかった。無事に通過できたらしい。

 


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