2018年 マウイ島 滞在日記 8

 ★16日目 (8月31日・木曜日)

 

25 ヤシの木の剪定

         


朝、ヤシの木を剪定する職人が来た。あの高い木をどうやって剪定するのだろうと、常々私は思っていた。クレーン車ででもなければ怖くてできるはずがないと思うけど、クレーン車で届くのだろうか。私は興味津々だった。

興味津々の割には観察がお粗末で説明がいまいちだと思うけれど、四角い、椅子の座布団の大きさ位のものを幹に取り付けて、その上に人が乗り、自分の足をひょいとゆすってその座布団様のものを持ち上げて、だんだん上にあがっていくのである。胴体の方に命綱をつけていたかどうかわからないが、ともかく天辺までそうやって登って、ヤシの木と一緒に風に揺られながら枝を落としていく。ゴンドラに乗っているわけでもなく、ただ身一つでヤシの木に蝉のようにへばりついて、いらない葉を切っていくのである。

人間とは、何とすごい知恵を発揮するものなのかと感心した。

高いヤシの木で人間は小さく見える。そこでゆらゆら揺れながら作業する姿は青い空と相俟って詩情を感じるほど美しかった。

6,7本のヤシの木を、二人の男の人が剪定し、午後3時頃仕事を終えた。

(ここの、人がヤシの木に登っていくところは、自分でも訳が分からないので、説明できないが、ともかく、一切機械は使わないのでした)

 

★17日目 (9月1日・金曜日)

 

26 フリーマーケット

マウイ島でいるのは今日で終わりだ。明日はホノルルに飛び、ホノルルで二泊してから日本に帰る予定になっている。

母親が、マウイ大学の校庭でやっているフリーマーケットに行こうと言った。三人はまたレンタカーに乗り込み、小一時間の道を行った。

マウイ大学の校庭はギラギラと太陽が降り注ぎ暑かった。海辺でないので風が吹かなかった。汗をふきふき、店を見て回った。母親は手作りの木の実に練り込まれたキャンドルをお土産に買っている。私も買った。

結構高い値なのに、そのお土産品は人気があり次々売れている。娘は、こんなの作るの材料費安いのに儲かるわね、こんなのをすればいいのだと言いつつ、何個も買っている。

又、本物のヒトデの貝殻を、壁に貼るのだと言って買っている。

プリントの絵も好きならしく、絵の出店に寄って何枚も見るが、高いと言って手を出さない。

ブラブラ見ていると、老年の婦人に日本語で呼び止められた。あまりにも流暢な日本語なので聞いてみると、30年前ぐらいに大阪で居たそうな。もう日本に行く当てはないと言っていた。

話にノリノリになっていると、結局は、出品している商品を買わざるを得ない羽目になった。でも、そこで売っているものはヤシの木などで出来た置き物なのですごく高い。一番安いもので逃げようと思って、ヤシの木でできたお箸を買った。二千円だった。

そのお箸はこうやってヤシの油で磨いているんだと言って、見せてくれたが、家に帰るとそんな面倒なことはしないので、艶のない棒切れのようなお箸になってしまった。

私はお箸の他にハワイ島の溶岩で出来た真っ黒のブレスレッドを買った。

孫は、ほら貝で出来た笛を買おうとしたが、吹いてみると音が出せないのでやめた。隣のコンドミニアムのお客が、毎日夕方になると海に向かって男女四、五人で、ボヮーと山伏のような音を出しているので、欲しくなったのかもしれない。その人たちは、ほら貝を吹く会の仲間だったのだろう。「山伏会」などというネーミングかも。

大きいヤシの実の丸ごとのジュースも一個買って、ストローを3本つけてもらい好奇心満々で飲んでみたけれど、陽にあたっていて生ぬるく3人とも口に合わないで破棄してしまった。

 

★18日(9月2日・土曜日)

 

28 さようなら、コンドミニアム

 17日間住んで、毎日海を眺めていた気持ちのいいコンドミニアムとも、今日でお別れだ。飛行機の時間に間に合わせるには急がなくてはならない。朝からバタバタしていよいよコンドミニアムを後にすることになった。

 スーツケースを車のトランクに積みこんだりしていると、初めて見た、人の好さそうな老夫婦が出て来て声をかけてくれた。

 私はすでに車の中。

 母親が応対している。

 あとで聞いてみると、長く逗留していましたねと言い、別れを惜しんでくれ、自分らは計画してここのコンドミニアムの一室を買い取り、老後の住み家としているのだと言ったそうだ。

 ニコニコと心から好意を持って話しかけてくれた、人のいい老夫婦。日本の田舎のおじいさんおばあさんたちと変わらないものを感じた。

 

 28 こんにちは、コンドミニアム

 ホノルルに着いて、予約していたワイキキのコンドミニアムを見てびっくりした。15畳ぐらいの部屋に所狭しとベッドが三つ並んでいるだけである。二階建ての一階部分の部屋で、部屋全体が薄暗い。水回りは入り口の左手にあり、右側にシャワーと洗面所がある。日本のワンルームマンションを大きくしただけのような作りだ。

 あまりにも窮屈なので、私は、荷物だけ置くと、敷地内にあるプールサイドでコーヒーを飲もうと出て行った。プールサイドでは、もう一人読書をしている外人の上品な老紳士の先客があった。

 プールの中では、一人、年の頃四十歳ぐらいと思える小柄な男性がビート板を持って泳いでいる。映画に出て来る少し小柄な中国人とそっくりに見えた。その男性が泳ぎながら私の方を意識してちらちらと見上げてくる。もう若くない私なのに、どうしたんだろうと疑念を持ちつつも、それ以上は考えなかった。

 さて、コーヒーを飲み終わって部屋に帰ろうとすると、着くなり荷物を放り込んで出て来たものだから、部屋の番号を覚えていなかった。同じような部屋が一杯並んでいるので、さてどの部屋だったか分からない。困って入り口の事務所に「部屋が分からない」と言っていって、教えてもらった。

 いったん部屋に帰り、ワイキキなら日本人だらけだから大丈夫だろうと思って一人で散策に出た。

 多分あちらがワイキキの浜辺だろうと見当をつけて五十メートルほど歩いたとき、後ろから「道解りますか」と声をかけて来る男性がいる。「解ります」と言いながら振り返ると、さっきプールで泳いでいた中国人のようである。「さっき部屋が分からないと言ってたし、この辺は分かりにくいから」というので「大丈夫です」と言って歩き出したら、その人は帰って行った。

 私が出て来るときにはまだプールで泳いでいたのに、私が出て行く姿を見て、急いでプールを上がり洋服を着て追いかけて来てくれたのかと、何が何やら、訳が分からなくなった。

ワイキキのあたりは道を歩いていると、後ろからも前からも日本語が聞こえて来た。

ただ何でもいいからお昼を食べようと一人で入ったハンバーガー屋のようなレストランは日本語が通じなくて、困ってしまった。

★18日目(9月3日・日曜日)

 

29 アラモアナショッピングセンター

今日でハワイ生活は最後。孫と母親は、ダイヤモンドヘッドに登りに行くと言った。私は膝痛で階段は無理だからパスして、アラモアナショッピングセンターに一人で出かけた。

ループバスがあるから一人でも平気と思っていたけど、帰りのバスが広いアラモアナショッピングセンターのどこから出ているのかわからない。下りたところで乗ればぐるぐる回っているのかな。それでは遠回りになるから裏の方から乗るのかな。

ちょっと英語を駆使して聞いてみたけど、通じない。泊っているコンドミニアムの近くに「トランプ」という名のホテルかビルがあったので、そこの近くまで帰りたいと言ってみた。「トランプ」と日本語発音で言ったら通じなかった。全然別の発音だった。

ひょっとしたら、孫も母親もダイアモンドヘッドからアラモアナショッピングセンターに来ているかもしれないと電話をかけたら、やはり来ていて、丁度帰る所だと言い、うまい具合にタクシーで一緒に帰れた。

ダイヤモンドヘッドから見る眺めは素晴らしかったらしい。

続いて「この木なんの木」の樹を見に行ったらしい。タクシーを返してしまったので、帰りに困ってしまって、次に来た日本人が待たせているタクシーに便乗させてもらって帰れたらしい。

何事も前以て研究していかないと困ったことになるようだ。

アラモアナショッピングセンターは25年前、娘の結婚式で来た時よりもさびれているように思った。

 

★19日目(9月4日・月曜日)

 

30 日本へ

いよいよ日本に帰る日になった。私と孫は先に航空券を取っていたので、出発が早い。

予約していたタクシーを待っていると、くだんの跡を追って来た男性が現れて、もう帰るのですかと声をかけて来た。「はい帰ります」というと「どちらへ」というので「大阪です」と答え、ついでに「そちら様はどちらへ」と聞くと「東京です」と言った。

あれッと私は思った。中国人でなかったんだと。

「来年またお会いしましょう」なんて適当な言葉が出てしまった。

そこへタクシーが来て、荷物を積むのに必死で碌に挨拶もせずにさよならしてしまった。

後でいくら考えてもその人がそんなに執着してくれる理由が解らなかった。

母親は遅い便で帰るのでチェックアウト一杯までコンドミニアムにいて、空港に行くことになっていた。

孫と私は八時間の飛行の後、無事に成田に着いた。

            【完】


コメント

このブログの人気の投稿

白髪隠しに帽子を被る

掌編小説 「ノストラダムスの予言」

西行の和歌(寂しさに耐えたる人のまたもあれな・・・) 1