プレバト流俳句 「阿波踊りの写真を見て一句」1 a Japanese poem in seventeen syllables リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ 3月 08, 2022 次の阿波踊りの写真を見て一句盆踊り赤い蹴出しが目に染みる さき女阿波踊りが全国に広がり東京都山手線大塚駅の周辺でも盛んでした。これは2017年。コロナの流行る前のことです。早くコロナが終息しまた楽しい阿波踊りを見たいものです。赤い蹴出し、色っぽい。いいね、いいね。 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ コメント
白髪隠しに帽子を被る 4月 19, 2023 おはよう! 今日も元気でいこう! 私は85歳のおばあちゃん 今日から、自分のことをキラキラ婆さんと呼ぶことにしよう。 あのさ、あさって22日は、高校時代の同窓会が 神田であるのさ。 それでさ、キラキラ婆さんの悩みが発生したのよ。 それは、白髪。 キラキラ婆さんさ、もう白髪染めやめようと決心したの。 だってさ、染めたら頭痒いもん! 真っ白にしたいのよ。 2年ぐらい黒白マダラを辛抱して。 ところがさ、娘が、そんな汚い頭見るの迷惑と言い出してさ。 それで、ない知恵を絞って考えたのさ。 晩餐の席で被っていてもマナー違反にならない帽子あるだろ、と。 で、娘に聞いたのさ。娘は、そんなの知らんと言うから、 ネットで調べてみた。 そしたらさ、今は高貴な方でも晩餐会の席上では、 帽子被っていないと書いてあるのがあったのよ。 えっ?とキラキラ婆さん思った。 キラキラ婆さんの時代には、ツバの無い帽子は、 正式な時も被っていていいと言っていた。 時代は変わるのか? キラキラ婆さんの記憶違いか? たかがよ!同窓生の10人の集まりの昼食会よ! それも皆85歳さ。 汚いマダラ白髪頭より、帽子被っていた方が、 皆さんの食が進むのではないかと! で、泥縄式のキラキラ婆さん🤩 今から帽子買いに行きます。 続きを読む
掌編小説 「ノストラダムスの予言」 2月 19, 2023 「ノストラダムスの予言」 1999 年 7 月、夏休みの前日、後ろの席の智 子が、真理子の背中をつついた。 真理子は、 英語の加藤先生が板書しているのを見計ら って、振り向いた。 智子は白い紙切れを、 差し出した。真理子は素早く受け取った。 「ノストラダムスの予言の 7 月が終わろう としているが、まだ安心はできない。もしも 30 日まで何も起こらなかったら 31 日が危な い。その日は裏山の洞窟にこもって一緒に最 期を迎えよう。賛同するものは山の下の神社 に午後 6 時に集まれ。その際、最後の晩餐に 饗するものを各自用意してくること。浩二」 真理子のクラスでは、誰が言い出したとも なく、地球はノストラダムスの予言通りに 7 月中に滅びるという噂が流れていた。それを 笑い飛ばすものもいたが、真剣に青ざめて信 じるものもいた。 真理子は信じない派に属していた。 500 年 前に生きたノストラダムスから見れば、 1999 年は想像もできないくらい遠い未来であった かもしれない。現に真理子にしても、西暦 2500 年の世界を想像してみろと言われたら、地球 が生み出す食料が、増大化した人類の胃袋を 賄いきれず、殺し合いが起こって人類が絶滅 していると想像するかもしれない。 しかし 1999 年の現時点から 500 年前の日本を考えてみる と、室町時代である。 日本ではあまり変わり ない庶民の生活が 500 年後の今でも綿々と続 いている。 とすると、地球はまだまだ続いて いくと思うのだった。 浩二はその考えは方向違いだと言った。 地 球の終わりは突然に空から降ってくるのだ、 と主張した。 例 えば、超巨大な隕石が地球と 衝突して、地球が一瞬にして燃え上がり、地 球そのものがなくなるのだと言った。 クラスの中で武夫が浩二の考えに同調した。 智子は武夫に憧れていたので武夫の言うこと を信じておび えていた。 智子の好きな清は半 信半疑ながら智子に従って心底予言を信じて いるふりをした。 清を心の中で熱愛していた 花江は、清が言うことは正しいと思い込み、 心底ノストラダムス の予言を信じ 切っていて、 勉強も手につかないぐらい怖がっていた。 真理子は、信じてなかったけれど、皆の 様子を見たいと、洞窟に行くことにした。 続きを読む
西行の和歌(寂しさに耐えたる人のまたもあれな・・・) 1 1月 16, 2022 皆さま、寒中お見舞い申し上げます。 私、ついこの間までやっていたブログ、年会費払い忘れていて、全てがパーになってしまいました。そしたら、bloggerという無料のblogみつけまして喜んでこちらに鞍替えしました。 × × × 今朝5時過ぎに目が覚めまして、ふと西行の歌を思い出したのです。 寂しさに耐えたる人のまたもあれな 庵ならべん冬の山里 西行 西行をもってしても、冬の庵は寂しかったのだ。庵の寂しさが、ぐっと私の心に迫ります。私の心も寂しい。若かりし日、西行の跡を訪ねて、吉野の西行庵を訪ねたことが思い出されました。尾根をちょっと下ったところの寂しいところでした。 当時は、屋根も崩れ落ち、廃屋寸前の姿でした。 なぜか、この西行の歌は、壮年の頃に詠まれた歌のように思われます。壮年の力が奔出してると感じます。 西行様、850年を遡って、今、私は、あなたの元に参ります。どうか、お側においてくださいませ。 続きを読む
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