プレバト流俳句 2 「モラエスの肖像写真」をみて一句 a haiku, a japanese poem in sevevteen syllables:Wences lau de Moraes
次の写真「モラエス」を見て一句
コハルは、引戸をあけて玄関に入った。奥から「コハルで」という母親の声がした。
「うん」とコハルは答えて、茶の間に上がった。
「どしたんで。おまはんが夕べ帰らなんだけん、おかあちゃんは心配しとったんじゃ。モラエスはんはな、年寄りじゃけん、まさかのことはせんだろうけんど、男はんには違いないんじゃけん、気い許したらあかん。夜は帰ってきなと言うただろう」
「うん、わかっとるけんど、ゆうべは熱を出したから、夜通し頭を冷やしとったんじゃ」
「そんなときはいっぺん帰って来な。そしたらおかあちゃんが変わって看病するけん」
「うん」とコハルは言って、浮かぬ顔をしていた。
母親も黙り込んで、コハルを見ていた。
コハルは、ゆうべ受けた衝撃から立ち直れなかった。何の予備知識もなく、一度も経験したことのない生まれて初めての衝撃が、身体を裂いた。それは母親にも言えない、隠さねばならないことに思えた。
その晩、仕事から帰って来た父親と、幼い妹と、いつもと変わりなく卓袱台を囲みご飯を食べ、夜なべ仕事の袋張りを手伝ってから、寝に着いたが、なかなか寝られなかった。
翌日、コハルはモラエスの所に手伝いに行かなかった。翌々日も行かなかった。母親は気が気でないらしく、モラエスさんが、不自由しているのでないかと、コハルに聞いた。
三日ほどして、コハルが買い物に出た後に、モラエスが、家に訪ねて来た。
「モラエスさんがみえて、コハルが来てくれんから、食事にも事欠いている、明日からどうしても来てほしいとゆうてみえたわ。気の毒だから、明日から行ってあげなはれ」
コハルは、モラエスからもらっているお給金がないと、この家の生活が成り立たないことを知っていた。そこで、決心して翌日からまたモラエスの身の回りの世話に行った。
モラエスは相好を崩して、コハルを迎えた。コハルはつっと顔を背けて、誇り高く寄せ付けないというような、凛とした横顔を見せた。モラエスはコハルの心を推し量り、衝動を抑え、コハルの心が開くのをじっと待っていた。あの最初の時は、我慢していた欲望を抑えきれず、衝動的に、いきなりコハルを抱き、コハルにひどい衝撃を与えてしまったことを反省していた。コハルをこよなく愛しているモラエスは、その愛がコハルに通じるまで、手を出さないと心に決めた。
だんだんとお盆が近づいて来た。よしこのを弾く三味線の音が聞こえる。モラエスは、コハルが碌な浴衣を持っていないのを知っていた。
ある日、モラエスは、散歩帰りの汗まみれの体を井戸水で拭きながら、
「コハルさん、お盆も近いから、浴衣を買ってあげよう。これから呉服屋にいきませんか」
と、声をかけた。コハルは、はたきの手を止めて、びっくりしたようにモラエスを見つめた。まだはたちそこそこのコハルの顔はつやつやしていた。たすきをかけた袖口から出ている腕は、六十歳のモラエスにはまばゆかった。
「嫌ですか。私と行くのは」と、返事のないコハルに、モラエスは聞いた。コハルは慌てたように、「そんなことないわ」と首を振った。モラエスは肩をすくめて笑いをこらえた。浴衣が買ってもらえないと大変だというように、慌てて答えたのが、可愛かった。
モラエスは、顔見知りの呉服屋にコハルを連れて行った。
「これはこれは、モラエスさん、こんにちは」と、主人は親しげに、だが礼節を保って、決して馴れ馴れしくならないように迎え入れた。
「今日はこの娘に、浴衣を買ってあげようと、来ました」
「はあ、そのようなことでしたら、この娘さんに似合いそうなもの、お出ししてみます」
主人は奥の棚から反物を三つ取り出して、するすると転がして広げた。白地にあやめ模様の物、生成りに大きな赤と白の牡丹が描かれているもの、藍染めで、朝顔の模様があるもの、この三つの反物が、目の前に広がった。
「どれでも、コハルさんの好きなものを選んでください」とモラエスは言った。
コハルが、三つの中から一つを選びかねて、どの反物にもうっとりとした視線を送っているのを見て、モラエスは、これしきの事でこんなにも迷っているコハルが愛らしいと思うのだった。「うちは、これがええ」とコハルは、藍染めのものを選んだ。
モラエスも藍染めの風合いがとても好きだったので、心中でコハルの選択を喜んだ。
モラエスは、コハルの若鮎がぴちぴちと跳ねるような動作を眺めるだけで、心が愉しいのだった。料理のうまいコハルを見込んで、モラエスはポルトガルの料理を手に取って教えた。出来上がった料理を、テーブルを囲んで二人で食べる時は、至福の時であった。そんな時、コハルを抱きしめたいという感情が、突如として湧き上がってくるのだったが、モラエスはその感情を押さえた。コハルの気持ちが自分の方に向かってくれるのを、辛抱強く待っていた。
浴衣が仕立て上がって、呉服屋の丁稚がモラエスの家に届けてくれた時、モラエスはコハルの来るのを待っていた。コハルの目がきらきらと輝くのが見たかった。コハルが玄関の引き戸を開けて入ってきた時、モラエスは上がり框に立って、出来上がった浴衣を手に取って、「コハルさん浴衣が出来てきましたよ」と、差し出した。
「ありがとうございます」とコハルは受け取って、畳紙もあけず、わきに置いて掃除を始めようとする。モラエスは、「ちょっと、着てみてごらん」とコハルを促した。
コハルは不承不承のように物陰に行って、洗いざらしの木綿の着物を脱ぎ、浴衣に手を通して、今解いた古い帯を結んだ。
「コハルさんには帯も買ってあげねばなりませんね」とモラエスは言った。
コハルは大きい鏡の前に行って、浴衣姿をとつおいつ眺めた。
「こんなきれいな浴衣初めて」とコハルは嬉しそうにした。新しい浴衣を、大切そうに脱いだ時、モラエスは、「可愛いです、可愛いです、コハルは」と言って、半襦袢とお腰姿のコハルを抱き上げて、ベッドに運んだ。コハルが抵抗する暇もなかった。事終えた時、コハルは素早く着物を着て、日本家屋の粗末な書斎のお掃除を始めた。書き物途中の紙や、広げた本は触ってはいけないと言われていた。コハルはノートや本をよけて夢遊病者のようにはたきをかけた。その時、モラエスが来て、「お掃除はあとにして、紅茶を一緒に飲みましょう」と言った。コハルは、「せんだくもんが一杯あるけん、さきに洗ろてしまわんと」と、ちょっと抵抗したが、二人分の紅茶を淹れて運んできた。
「もうすぐ盆踊りが始まりますね。コハルさんは踊りますか?」とモラエスは聞いた。
「こんなええ浴衣が出来たけん、隣のおっちゃんの踊りの仲間に入れてもらうわ」
「私は見物に出かけます。コハルさんのお父さんやお母さんは?」
「お父ちゃんやお母ちゃんは何もせえへんけんど、田中のおばあちゃんは、毎年三味線弾いて流していくんじょ」
モラエスは、無邪気に盆踊りを語るコハルの心は、まだまだ子供のままだと可愛くなる。
コハルが帰ったあと、モラエスは葉巻をくゆらせながら、日本の女性のしなやかさについて考えていた。これがマカオの中国人の女性なら、頬をひっぱたかれ抵抗されていただろう。コハルは自分を好いているのかいないのか、はっきりしないけれども、自分の意思をあらわに出さず、摩訶不思議な包容力で、自分を受け入れてくれた。日本の繊細で優しい自然と同じように、日本の女性も繊細で優しい。おヨネも優しかったと死んだおヨネの上にも思いが及んだ。モラエスは唐突に、コハルの給金を上げて、コハルの家庭を少しでも助けてあげないといけないと考えた。
コハルの家の家計は切迫していたので、毎日帰り際に日銭をいただいて帰らなければ、明日のおかずが買えなかった。翌日から、家に持って帰るお金が少し増えた。いつも、お給金は全部母親に渡していたので、コハルがそのまま渡すと、母親はいつもより多いのに気付いた。母親は掌の中のお金を両手で包むようにして、拝んだ。
コハルは、引き留められるままにモラエスの家に泊る日も増えて行った。けれど、家に無性に帰りたくなる日は、どんなに引き留められても聞かずに帰った。
その日も、実家で、大家さんが頼んでくれた大工が雨漏りを直しに来てくれる日だった。父親も母親も、近所の農家に日稼ぎに出ていた。大工が来てくれても、誰もいない。コハルは留守番のために家に帰っていた。朝餉の後の洗い物をしていると、
「こんちは」という威勢のいい声とともに、若い男の人が玄関に入って来た。
「はい」と言って玄関に出ると、相手は、「コハル!」と、驚愕の声を上げた。
よく見ると、相手は、子供の頃、いたずらに畑に入ってトマトを取って食べたりした幼馴染の藤吉郎だった。
「藤吉郎ちゃん?」とコハルは半信半疑で叫んだ。
「懐かしいなあ!何年ぶりだろう!コハルにはもう会えないと思とった」
「どうして、どうしてなん!」
「いやさ、ずっと会うてなかったからな」と口ごもった。
尋常小学校を出て、藤吉郎が大工の父について修行に出るまで、コハルは藤吉郎のお尻について、冒険ごっこだと言って、町や畑を駆けずり回り、しばしば眉山に登ったりした。
子供の頃、藤吉郎は「コハル」と呼び、コハルは「藤吉郎ちゃん」と呼んでいた。
尋常小学校を出てから一度も会わなかった藤吉郎は、日焼けしてがっちりした体つきになっていた。
「今日は家主さんに頼まれて、雨漏りを見に来たんじゃ。どの辺が雨漏りするんで」と藤吉郎は聞いた。「ここじゃ」とコハルは裏庭に通じる土間の天井を指さした。
「ああ、大きなしみがあるな。大体わかったわ。今日は見に来ただけじゃけん、明日材料持って出直して来るわ。それにしてもコハルに会えるなんて思いもしなかったわ。ずうっと会いたいと思とった」
コハルは藤吉郎が思いがけず自分を忘れないでいてくれたのが、嬉しかった。
「藤吉郎ちゃん、お茶入れるから待って」
二人は上がり框に腰かけて、似合いの恋人同士のような姿でお茶を飲んだ。
「コハル、俺はな、大工で一人前になれたら、コハルを嫁さんにしたいと子供の時からずっと思とった。一人前になるまではコハルに会うまいと誓いを立てて、一生懸命働いたんだ」
コハルは思いがけない言葉に、湯呑を掌に載せたままじっと藤吉郎を見つめた。長い間、泥水を被ったようなコハルの心に、子供の時の無垢な気持ちが蘇って来た。刈り取った田んぼに入って、宝物探しだと言って色ガラスの破片などを集め、どっちがきれいだとか言って自慢しあった幼い時の無邪気な気持ちが、今のことのように湧き上がってくる。
お茶を飲み終えた藤吉郎は立ち上がって、「ほな、明日ちゃんと直しに来るけん、お父さんにそうゆうといてな」と言って帰って行った。
コハルは身も心もぴちぴちとなり、弾むように家事をこなしていった。
翌日も両親は働きに出かけた。藤吉郎は一人できびきびと動いて屋根を直した。仕事が終わると、コハルはお茶を入れて藤吉郎を引き留めた。藤吉郎は笑いながらコハルの頭を撫でた。頭を撫でられて、小さい時手をつないで田や畑を駆けずり回った光景が、コハルの眼前に浮かび上がってきた。藤吉郎が手をかけた時、コハルは藤吉郎のすることには何の抵抗もなかった。自然に身も心も馴染み、素直に藤吉郎に身をゆだねていくことが出来た。
やがて二人は両親の目を盗んで、逢引きを重ねるようになった。
半年もすると、コハルのお腹が目立ってきた。コハルは誰にも相談出来ず一人で悩んでいたが、さすがに隠しおおせることが出来なくなってきた。母親は、膨らんだコハルのお腹を見て、モラエスの子を身ごもったと思いこみ、青い目の子が生まれてきたら、世間からどんな目で見られるかと悩んでいた。コハルから藤吉郎の子だと打ち明けられた時は、むしろほっとして勢いづき、モラエスの所に出向いて、コハルの体調がすぐれないことを理由に、長期の休暇を取って来た。
モラエスは、コハルの体調のすぐれないのは、妊娠しているせいではないかと感づいていた。もしそうなら、自分の分身がこの世に生まれ出て来ることになる。この年になって何という恵なのだろう。幼いコハルと共同して、新しい命を育てていこうと夢見た。
コハルの両親は、お腹の子が藤吉郎の子と知ると仲立ちを立てて、藤吉郎の家に掛け合ってもらった。たが、藤吉郎の父は、毛唐人の妾など嫁に貰うほどうちは落ちぶれていないぞと、怒鳴り散らした。親に逆らえないのか藤吉郎の足も遠のいていった。
コハルは大きなお腹を抱えて、人目のうるさい外には一切出られず、藤吉郎も来てくれず、ため息ばかりつく日々を送っていたが、お腹の子はすくすくと育っていった。
月満ちたとき、陣痛も少なく、あっという間に健康な赤子を産んだ。
その子は、勿論、黒い髪の、黒い瞳の男の子だった。
後記
ヴェンセスラウ・デ・モラエスについて日本の作家が書いているものを「徳島県立文学書道館」が、文学企画展「文学者の見たモラエス」で、パネルに書いて出していたので、ここに二,三、書き写してみます。
吉井 勇
モラエスは 阿波の辺土に死ぬるまで
日本を恋ひぬ かなしきまでに
『玄冬』創元社、1944年
山口 誓子
モラエスと 小春とがゐて 阿波霞む
『方位』春秋社、1967年
久米 正雄
モラエスも うつつをぬかす 春の宵
ドナルド・キーン
司馬 遼太郎
キーン 徳島にポルトガル人のモラエスがいて、そしておそらく徳島文学として最高のものでしょう。
司馬 最高のものですね。あれを凌駕するものは一つもないな。
新田 次郎
モラエスはおよねの中から最も美しいものを探し出そうとしていた。眼であろうか顔かたちだろうか、彼女の全体から受ける感じであろうか。
畳の上に置いてある卓袱台をへだてて前に坐っているおよねを包んでいるものは、豊かなやさしい、そして何処かに悲しげな翳がある美しさであった。(中略jおよねの眼は春の日のように愁いをたたえながら静かに彼を見詰めていた。強いて言えばそれはいかなる意向をも察することのできない、神秘的に馨る眼差しであった。
『孤愁 サウダーデ』文藝春秋、2012年
遠藤 周作
人はあまりに幸福な時、「これでいいものだろうか」と、突然、名状しがたい不安にかられる瞬間がある。あまりに碧く晴れあがった空を見る時、説明のつかぬ心の影に震える一瞬がある。
それとよく似た不安を、我々はモラエスの日本にたいする陶酔と讃美の頁を読む時感じるのはやむをえない。「これでいいのだろうか」それはモラエスにたいしてではなく、モラエスから祝福を受ける自分たちにたいしてでもある。
彼は日本のなかにあたらしい命を見つけようとした。そしてこの日本の芸術や日本人の繊細な生活や日本精神の強さを理解しようとした。けれどもその陶酔が烈しければ烈しいほど、青空があまりに青ければ青いほど、裏切られた時の悲しみは大きいであろう。やがてこの『日本通信』に描かれたみごとな日本人が、近代という名のもとに、かつてモラエスが讃美したものを次々と捨てていった時、彼はどのように辛かったであろう。
『定本モラエス全集』第2巻「日本通信」解説、1969年
瀬戸内寂聴
私はこうもりの飛ぶ夕暮れの道で、その異人さんにはじめて逢った。
寺町に仲のよい友達がいて、私はそこで遊びすぎ、夕方近くになって、あわてて家にもどろうとして、友だちの家を出た。丁度その時、森閑とした寺町の通りの向うに、異様な人がふっと、湧き出るようにあらわれたのだった。
(中略)
春だというのに、どてらを着て、殿中を羽織り、鳥打帽子を目深にかぶっていた。手に太いステッキをついていた。
見上げるように大きな姿だった。放心したふうに、男はゆっくりゆっくり歩いていた。道ばたの家の門にへばりつき、息をつめている私に気づかず、青い目にものがなしい色をたたえ、歩きつづけていた。蹌踉という言葉もしらない子供の私の眼にも、その年老いた異人さんの貧しげな姿が物のあわれであり、歩き方に思わず手をとってあげたいようなはかなげなものを感じた。
「青い目の西洋乞食」『人なつかしさ』筑摩書房、1983年
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