桜 藤沢市 引地川親水公園 

藤沢市

まぼろしの桜求めて彷徨いぬ


2022年3月27日、藤沢市引地川(ひきぢ川)沿いの花のトンネルを、【引地川親水(しんすい)公園】に向かって歩いて行きました。藤沢市の桜の名所と言えば、引地川親水公園だと近所の方が教えてくれます。(私は藤沢市に越してきて、まだ7カ月しかたってなく右も左もわからないのですが)
JR藤沢駅北口からバスに乗って「引地橋」バス停で降り、川沿いを歩いて行きました。

この写真の所は、花のトンネルのようになっていますが、これがずっと続いているわけではりません。

引地橋バス停から、公園まであるいていくと途中には、広い畑があります。
藤沢にもこんな田園風景があるのかと、驚きました。

               


川沿いの道を1キロほど歩いて、引地川親水公園に着きました。

ここが桜の名所と教えてくれたけれど、上野公園の桜に比べると、桜の木も少ないように思いました。

関西尼崎市で住んでいた時は、武庫之荘に通称交通公園というのがありまして、ここは歩いて行ける距離だったので、毎年花見を楽しみました。

今年はちょっと不発の思いがあります。

そうこうしているうちに、花見の季節は過ぎていきました。

親水公園の中には、自転車で岩を登る遊び場がつくられていて少年たちがさかんに挑戦していました。

                 


後で聞いたことですが、私が見ていたのは、引地川親水公園の中だけを見ていたのですが、
桜のトンネルのある所は、公園を超えてずっとずっと歩いて行かなければならないということでした。そうすると、藤沢市報に載っているような桜のトンネルがあるのでした。

なるほど、兼好法師の徒然草の「石清水八幡宮」に書いてあるように、何事も「先達」が欲しいということです。

私は84歳の膝の痛い老女ですので、奥まで歩いてみるという元気がなかったのです。
「やれやれ、ようやく親水公園に着いたわ」と膝をなでなで、ベンチに座り込みました。

そしてターンして帰って来てしまったのです。

失敗の教訓

徒然草 第52段

現代語訳

仁和寺に暮らしていたある坊さんは、老体になるまで石清水八幡宮を拝んだことがなかったので、なさけなく思っていた。ある日、思い立って、一人で歩いて参拝することにした。極楽寺と高良神社だけ拝んで「これで思いは遂げました」と思いこみ「八幡宮はこれぐらいのものか」と思い込んで、山頂の本殿を拝まずに帰った。

 帰ってから、同僚の僧に「前から思っていた事を、ついにやり遂げました。これまた、噂以上に素晴らしいものでした。しかし、お参りしている方々が、みんな登山をなさっていたから、山の上に何かあるのでしょうか? 知りたかったのですが、今回は参拝が目的だったので、山の上へは行かなかったのです」と語った。

 どんな些細なことでも、案内がほしいという教訓である。

原文

仁和寺(にんなじ)にある法師ほふし、年るまで石清水いはしみづおがまざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩かちよりまうでけり。極楽寺ごくらくじ高良かうらなどを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

 さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意ほいなれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

 少しのことにも、先達せんだちはあらまほしき事なり。







 

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