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【NHK スペシャル】 見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~

 先日、NHKで立花隆を久しぶりに見ました。生前は立花隆の言うことに耳を傾け、彼の言うことは、私にとって、世の出来事を解釈するための指標となっていました。その前には筑紫哲也。小田実。みなこの世を去ってしまわれました。  この間のNHKスペシャルを見て驚いたことは、20万冊あった蔵書が、死後すべて無くなり、書棚が寒々しい空っぽになってることでした。その上、尚も驚いたことは、遺骨は「ゴミとして捨ててくれ」という遺言でした。もちろんそれはかなわず、樹木葬にしたようでした。   確か、お葬式や坊主もいらないと言っていたように思います。 その徹底ぶりには驚いてしまいました。極めつけはやっぱり、「遺骨はゴミとして捨てる」という言葉でした。 万巻の書物を読み、考えつくした結果、そういう所に到達したのでしょうか。 私の夫も、お葬式や坊主はいらないと遺言していました。考え方によく似たところがあると思いながら、放送を見ていました。 私も、死んでしまえば、魂はなくなり、ただの抜け殻が物体として残るのみと思っています。でも、立花隆のように、「ゴミとして捨てる」という所まで徹底していないように思います。 考えつくし、研究しつくした結果、そういう所に行きついたということは、凄いことだと思います。

太宰治「人間失格」の感想

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  図書館に行くと活字の大きい本があって、パッと目に着いたので太宰の「人間失格」を借りてきました。 活字が大きくて字の色が濃いのは、大助かり。 スラスラと読めました。 「第一の手記」のところはおかしくておかしくてゲラゲラ笑ったのです。 こんなにゲラゲラ笑わせてくれるなら、楽しいなと思っていたのですが、 「第二の手記」「第三の手記」は、私の肌には合わなかった。 私も、聖人君子的生き方には程遠い生き方をしたと思っているけれど、まだまだ普通の人間で、強い人間なのだと思わされる。 若い時に読んでちっとも傾倒させられなかったけど、長い人生を経てきた後に今読めば、思いも変わるかと読んでみたけど、変わらなかった。 やっぱり、性格の違いなのかあと思う。

藤沢市白旗神社の藤 義経の生首のたどり着いた神社

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 昨日(2022.4.30)はいいお天気だったので、白旗神社の藤の花を見に行きました。ここの藤の花の房が長いというので、興味を持って見てきました。 確かに房は長かった。 以前東京の亀戸天神の藤の花を見に行ったことがありますが、ここは東京一の藤の名所と言われるだけあって、藤棚がたくさんあってそれはそれは見事でした。 白旗神社の場合は、藤色の藤棚が一つと、白色の藤棚が一つありました。              白旗神社は源義経の生首が、鎌倉の腰越から流れ着いたといういわれのある神社です。 腰越で捨てられた義経の生首が海の方に流れなく、境川を遡って白旗川に入り、川の流れにも逆らって、白旗神社にたどり着いたとは、なんという執念でしょう。 義経の首は、川の流れに逆らって、きっと口を結んで前をにらみつけ、どんな思いでこの神社にたどり着いたのでしょう。 真実は誰かが義経の首を大切にこの神社に運んできたのかもしれません。頼朝の逆鱗に触れないように、こんな伝説が出来たのかも知れません。 悲しい思いがします。 近くに義経首洗い井戸というのがありますが、まだ私は見ていませんが今度、見落とさないように寄ってくるつもりです。 生首を水で洗うのですね。残酷な光景です。 【義経と弁慶】 ちょうど今日「鎌倉殿の13人」で、木曽義仲の息子の生首が頼朝の前に運ばれてくる場面を見ました。木の桶のような形をしたものに入れられていました。 日本人て残酷ですね。ああいやだ。 この神社に芭蕉も来たらしい。句碑がありました。 草臥れて(くたびれて)       宿かる比(ころ)や        藤の花         芭蕉 芭蕉もちょうど今頃白旗神社にたどり着いてここで一夜の宿を借りたのだと思うと感無量です。 本殿は階段を上がって上にあります。そんなに大きな神殿ではないのですが、霊験あらたかな感じがいたします。 五月晴れの境内には、こいのぼりが勢いよく泳いでいて、気持ちのいい思いでした。 私は左ひざが痛く、階段を降りるときは、手すりに寄りかかり、一段ずつ両足を揃えて降りねばなりません。 道を歩くのもよろつきながら。そしていつも一人旅。 バス停にたどり着いて、ほっとしてベンチに腰掛ける。 これが84歳私の今である。