連載小説 秘められた青春 芙蓉と葵 (2)-1
(2)ー1
芙蓉は秘密を誰にも言えぬまま、受験勉強をした。
柳原君への想いはますますつのっていくが、自分は穢れた身であるから柳原君に想いを打ち明けることなど出来ないと思った。
せめて、柳原君が東大に行くのなら自分も東京に行きたいと、京都の短大をやめて、東京の短大に変えた。
ところが、蓋を開けてみると、柳原君は東大の理3をやめて、京大の工学部にはいっていた。芙蓉は今更どうすることもできず、母と上京して女子専門の下宿を決めた。葵は地元の国立大学に入って意気揚々としていた。
芙蓉の母は、担任の杉野先生にお礼に行かなければならない、あなたが大学に入れたのは先生のご指導の賜物なのだからと言った。芙蓉はそんなことはしなくていいと言ったけれど、母は先生に似合いそうなネクタイを買って、有無を言わせず、芙蓉を連れて先生のお宅に伺った。
杉野先生は恐縮しきった様子だった。
「いやいや僕の力というより、芙蓉さんがまじめに勉強されたので、通ったのです」と言って、髪をかき上げた。母の後ろで隠れるように立っている芙蓉をちらっと見た。その時の目は、恐怖におびえている目だった。芙蓉もまた恐怖におびえていた。
葵は葵で、芙蓉が東京に行く前にもう一度先生の所に遊びに行こうよと誘ってきた。芙蓉は断わる理由が立たず、葵の後ろについていく羽目になった。
「紺野も高橋も、志望通りの所に入れてよかったな」
「せんせのおかげです」と葵は目をうるませている。
「紺野は初めての親からの独立、それに東京は気候も違うし健康に気をつけろよ」と先生はあのことはなかったことのように、何の感情も表さないで言った。
芙蓉の方は、なかったことにしようとしても、しきれなかった。あの時の衝撃が、体をさいなんだ。幸いにして、月のものは順調にやってきた。表面上は何にも変わったことはない。けれど、あのことはしっかりと体に刻み込まれていた。もう取り返しがつかない。柳原君に申し訳ない、柳原君に捧げたかったと身勝手な思いとも思わず、夜中にひそかに泣き崩れた。
先生のあのかたくなな一線を崩さない態度は、先生にとっては本当に一時の出来心だったに違いない。その方が自分にとってもいいことなのだけれど、あまりにも冷静にかたくなにふるまえるのを見ると、物足りなく感じる時もある。自分はたったそれだけの価値しかなかったのかと。先生の面前で、我慢せずに泣き崩れて、いたわられたい。
しかし、気を取り直すと、そんな思いは柳原君を侮辱することだと思うのだった。また、葵の先生への想いが純粋で激しいだけに、葵に気取られて葵を絶望に落としてはいけないと思うのだった。自分は誰にもそのことは言わない、そして先生も平静で、何事もなかったことにしているから、そうしていれば、世間ではなかったことになり、誰をも傷つけないと思うのだった。理屈はそうだけれども、芙蓉はどうしてもなかったことにできなかった。
桜の花が開くのは今か今かと人々が待ち望み、暖かい春の陽が人々を幸せにする時期なのに、芙蓉は屈託していた。柳原君が東大に行くという噂を信じて自分も東京の短大に変えたのに、柳原君も心が変わって京大になった。東大の理3という噂で、医学部に進むのかと思っていると、工学部に変わっていた。その行き違いは今ではどうもできない。
芙蓉は身の回りを整えて、東京に移った。
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