西行の和歌(事となく君恋渡る橋の上に・・・)と自作小説 6

 

 高野の奥の院の橋の上にて、月明(あ)かかりければ、

諸共に眺め明かして、その頃、西住上人京へ出にけり。

その夜の月忘れ難くて、また同じ橋の月の頃、

西住上人の許(もと)へ言い遣わしける

 

    事となく君恋渡る橋の上に

         争うものは月の影のみ

                   西行

                (1157・81152 日本古典文学大系・歌番号)

 

京子はタワーマンションの12階の寝室の大きなガラス窓から夜空を見上げた。

雲一つない空に満月が輝いている。

今夜の満月はローズムーンだ。

京子は振り返り、昨日まで達子と一緒に寝たダブルベッドを見た。

達子の抜け出た跡が、蝉の抜け殻のように盛り上がっていた。

他に寝る場所がなかったから、二人は一つのベッドに横たわっただけのことだが、

気の合う者同士、夜を徹して美術について語り明かしたのは楽しかった。

達子は、妖精を描くのに夢中だった。

京子は絵筆一つ握ったことはないけれど、達子の情熱に引きずり込まれた。

達子は言った。

「ラヴェルの『夜のガスパール』の『オンディーヌ』というピアノ曲を聞いたのよ。その時私の頭にビビット来たの。オンディーヌというのは妖精の名前なんだけど、人間に恋をするのよ。その恋は破れるの。そうしてオンディーヌは泡となって湖に消えていくのよ。その泡となって消えていくところを私は描きたい!」

ああなんて美しい情景なんだろうと京子は思った。

達子自身がオンディーヌになったみたいに美しかった。

京子は、額にかかった達子の前髪を掻き上げたいような気持になった。

そして赤子のように柔らかい唇に唇を重ねたいような気になった。

心臓が一瞬ドクッと音を立た。

そして京子は辛うじて自制した。

達子が残していったパジャマを掛布団の下から取り出すと、

かすかに化粧の香りがした。

京子は枕元からスマホをとると、達子にラインした。

<寝室の窓から、ローズムーンの美しい光が差し込んでいます。昨日までここにいたあなたと、この月を一緒に見ることができないのは、なんと寂しことでしょう。月はむなしく貴女

のいないベッドを照らしています>

京子はしばらくためらうように月を眺めていたが、思い切って送信ボタンを押した。

 

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