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プレバト風俳句 4「摩周湖の写真」を見て一句       Haiku,Japan,Lake ,Masyu

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 次の摩周湖の写真を見て一句 夏木立ち 青き摩周湖 神秘なり 2017年夏、大阪からツアーに入って道東の旅に出ました。 摩周湖は一度は行ってみたい憧れの所でした。 その日は曇りがちの日、小雨さえパラパラと降ってきました。 何か神秘的なものを感じました。 Over grove in summer, F oggy Lake Mashu is a mystery. at Hokkaido,JApan.

プレバト流俳句 2 「モラエスの肖像写真」をみて一句  a haiku, a japanese poem in sevevteen syllables:Wences lau de Moraes

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 次の写真「モラエス」を見て一句 モラエスや およねとコハルに 魅せられて  さき女 Moraes was bewitched into two japanise ladies ,Oyone and Koharu. 自作小説『コハルとモラエス』 コハルは、引戸をあけて玄関に入った。奥から「コハルで」という母親の声がした。 「うん」とコハルは答えて、茶の間に上がった。 「どしたんで。おまはんが夕べ帰らなんだけん、おかあちゃんは心配しとったんじゃ。モラエスはんはな、年寄りじゃけん、まさかのことはせんだろうけんど、男はんには違いないんじゃけん、気い許したらあかん。夜は帰ってきなと言うただろう」 「うん、わかっとるけんど、ゆうべは熱を出したから、夜通し頭を冷やしとったんじゃ」 「そんなときはいっぺん帰って来な。そしたらおかあちゃんが変わって看病するけん」 「うん」とコハルは言って、浮かぬ顔をしていた。 母親も黙り込んで、コハルを見ていた。  コハルは、ゆうべ受けた衝撃から立ち直れなかった。何の予備知識もなく、一度も経験したことのない生まれて初めての衝撃が、身体を裂いた。それは母親にも言えない、隠さねばならないことに思えた。  その晩、仕事から帰って来た父親と、幼い妹と、いつもと変わりなく卓袱台を囲みご飯を食べ、夜なべ仕事の袋張りを手伝ってから、寝に着いたが、なかなか寝られなかった。  翌日、コハルはモラエスの所に手伝いに行かなかった。翌々日も行かなかった。母親は気が気でないらしく、モラエスさんが、不自由しているのでないかと、コハルに聞いた。 三日ほどして、コハルが買い物に出た後に、モラエスが、家に訪ねて来た。 「モラエスさんがみえて、コハルが来てくれんから、食事にも事欠いている、明日からどうしても来てほしいとゆうてみえたわ。気の毒だから、明日から行ってあげなはれ」  コハルは、モラエスからもらっているお給金がないと、この家の生活が成り立たないことを知っていた。そこで、決心して翌日からまたモラエスの身の回りの世話に行った。  モラエスは相好を崩して、コハルを迎えた。コハルはつっと顔を背けて、誇り高く寄せ付けないというような、凛とした横顔を見せた。モラエスはコハルの心を推し量り、衝動を抑え、コハルの心が開くのをじっと待っていた

プレバト流俳句 「阿波踊りの写真を見て一句」1  a Japanese poem in seventeen syllables

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 次の阿波踊りの写真を見て一句 盆踊り赤い蹴出しが目に染みる さき女 阿波踊りが全国に広がり東京都山手線大塚駅の周辺でも盛んでした。 これは2017年。 コロナの流行る前のことです。 早くコロナが終息しまた楽しい阿波踊りを見たいものです。 赤い蹴出し、色っぽい。 いいね、いいね。  

愛犬ジェシーは死んだ

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  去年(2021年)の10月、12歳のジェシーは死んでしまいました。 メス犬でした。 トイプードル。 可愛かったなあ。 もう一度ジェシーに会いたいよ。                               でももう会えないんだ。死んでしまったのだもの。     ジェシーは利口な犬だっだ。「かみなり」という言葉を覚えたのだった。     杉並区吉祥寺の善福寺公園を散歩していたら、雷がごろごろと来たのだった。     犬は「かみなり」が大嫌い。私は急いで犬用の乳母車にジェシーを乗せて、     家に帰った。  帰る道中、ずっと、「かみなり、かみなり、こわいねえ。かみなり、こわいねえ」と言い続けていたら、ジェシーはかみなりといういう言葉を覚えたのだった。  家族の会話で何気なく「かみなり」という言葉が出た時、怖そうな顔をして、こちらをみて、ジェシーはしっぽを落として、すごすごと二階に上がっていったのだった。そしてベッドの下に隠れた。雷も何も鳴ってないのに。 「あれ、ジェシー、かみなりということばが分かるんだわ」 その話を孫にしたら、嘘だろうと言って、試すように「かみなり」と言った。 すると、恨めしそうな顔をして、ジェシーは尻尾を落として、二階に行こうとする。 「ほらね。わかるのよ。我が家では、『かみなり』という言葉は禁句よ。禁句。禁句。ジェシーが可哀そうだもの」 それでも時々面白がって、わざと「かみなり」と言ったりする。すると家じゅうが、「しーっ、禁句禁句」と唇に指をたてて、笑う。 10歳を過ぎてジェシーは「かみなり」という言葉を覚えた。利口な犬だった。 想い出はいっぱい。家族で車で出かけようとすると、自分も一緒に行きたくて、玄関のドアが開くといち早く自分が道に飛び出していくのだった。危ないので「ジェシー、ダメダメ」というと、車の下に潜り込む。これも危ない。仕方なく呼び出して一緒に載せていくのだった。 もう一度抱っこしたい。でももうそれはかなわない。 今はロシアがウクライナに攻め込んでいる。犬の想い出にばかり浸っている時ではない。 人類が営々として築き上げてきた文明を、瓦礫と化す。平和に暮らしていた市民や子供を殺す。何のために。隣国は隣国の方法で生きていけばいいのだ。愚かで悲しい。